変質する光 [中編]
前回の記事の続き。
三つめの作品は、「セイナッツァロの役場」
1952年に建てられたセイナッツァロ島の役場。写真左側の背の低い建物が図書館で、右側の役場棟には役場、議場、宿泊部屋などが入っている。
まずこのアングルから見た際のプロポーションがよい。特に役場棟のせり出してくるような煉瓦の壁は、重厚さと共に不思議な浮遊感を感じる。
パッと見、開口部少なくね?と思うのだが、それが今回取り上げる光の変質の肝となる。
役場棟と図書館棟の間にある階段を上がると中庭に出るのだが、ここは大きめの水平連続窓になっていて、割と日差しが入る。建築の外側と内側で表層(外壁の表情)の対比が効いているのも良い。
さて今回取り上げる光はこちら。
重々しい煉瓦を積み上げたような壁面がハイサイドライトによって途切れ、光が鋭く差し込んでいる。
ここは入り口から入って後方に伸びている議場への階段で、最初の写真でみた煉瓦張りのボリュームの内側となる。
厚い壁面で階段を覆い、その上端に限られた開口部を設けることで、太陽光がピシッと空間を引き締める一筋の光線へと姿を変える。
こちらは先ほどの階段を上がった、議場入り口前の回廊。やはり筋となった光線が効いている。
白塗りのプラスターボードではこうはいかないだろう。赤黒く、重々しい煉瓦という素材で空間の8割ほどを埋め尽くすことによって、光が鋭く差し込む闇を用意しているのだ。
天井を走る木の梁や仕上げは、光の軽さ・鋭さと同調しその効果を高めているように見える。
そして議場に入ると、
暗い。
さっきの階段〜廊下の光と闇の対比がそのまま増幅して大空間となったような印象を持った。一応ペンダントライトがついているし、撮り方によってはもう少し明るい。
会議場へ足を踏み入れた時は、どっしりと重く厳粛な雰囲気があり、自然と声をひそめてしまった。
これはちょっと明るすぎるので、入り口の扉を開けていたのかな。肉眼だとこれとさっきの写真の中間くらいの明るさだった印象。
これは議場の唯一の開口部を外から撮ったもの。結構巨大な開口部ではあるが、議場はここともうひとつ小さな開口以外に採光する場所がない。
開口部の少なさが、煉瓦のもつ暗さと相まって議場空間内部の厳粛さが生み出されているといえる。
前回紹介した「アカデミア書店」や「国民年金会館」は、大きなトップライトで太陽光を贅沢に取り入れ、それぞれ光の欠片と光の球体に変質させていた。
「セイナッツァロの役場」は煉瓦という素材を用いて重厚な壁面を作り出すことによって、室内に入ってくる太陽光を限定し、空間に緊張感を与える光へと変貌させたのである。
余談だけどセイナッツァロの役場周辺は、製材所が近くにあるせいなのか木の香りがめっちゃ凄かったです。
今回の記事はここで終わります。次は後編、セイナヨキにある二つの作品について。
変質する光 [前編]
今日、会社の研修で「最近、感動した建築は何か?」というテーマと共に自己紹介をした。
最近はあまり建築で感動したおぼえが無かったので、去年の7月に2週間フィンランドへ旅行した時のことを思い出しながら話した。
色々と思い出しているうちに、旅行中や帰ってきてから考えていたことをまとめたくなったので、初めて建築の記事を書くことにした。
その時はヘルシンキを基点として主にアアルトの建築を見て回ったのだけれど、様々な作品を見て回る中で、特にトップライトやハイサイドライトを巧みに利用している建築に惹かれた。僕は北欧建築やアアルトの研究をしていなかったので専門的なことは分からないけれど、彼の作品を訪れて感じたことを、「変質する光」というテーマで雑多にまとめてみようと思う。
フィンランドの7月は日が長く、21時~22時くらいまでは昼間みたいな明るさだった。幸い旅行中は殆ど雨に振られる事もなく、日本の4月くらいの気候で快適に過ごせたのだが、晴れた日に日向にいるとまぶしいほど日差しが強烈だった。
そのような日差しが降り注ぐ中で、アアルトの作品を訪れた。その時感じたことを思い出した順に書いてみる。
ひとつめは、「アカデミア書店」
1969年に建てられた書店で、現在も普通に使われておりお客さんもそれなりに入っている。店内に入るとまず目に飛び込んでくるのが、中央の吹き抜けと天井に付いている三角形のトップライトである。
トップライトは写真の通りかなりデカイ、が吹き抜けのスケールと程よく調和しているのでそれほど威圧感は感じない。
中央の吹き抜けやそれを囲む石張りも綺麗だったのだが、日差しが直に入らない時間帯に眺めていると、それほど特別なものだとは思えなかった。
この建築は最初の方に訪れたのだけれど、その時はあまり強い印象を抱いていなかったのだ。
しかし旅行の後半でもう一度この建築を訪れた時に、その印象は一変した。
まるで空から降り注ぐ光が結晶化して、その欠片が建築の中へ散りばめられているようだった。
この光景が目に入った瞬間、ただの三角形のトップライトだったものが、天井に埋め込まれた巨大な宝石に見えた。
おそらくその「宝石感」は、吹き抜けを囲む磨きがかった石張りの仕上げによるものもあるだろう。多面体のトップライトによって変形、拡散された直射光が、ツヤのある白い石張りに反射することによって、光の輪郭と明るさが美しく強調されている。
アアルトで光というと、僕はどちらかといえば柔らかい光を想像していたのだが、これ程までに鮮烈で強い輪郭を持った光もあるということに驚いた。
そしてその光が、直射光の差し込む時間帯にだけ現れるというのも良い。常にギラギラしていては品が無いし、書店という場所にふさわしくないと思う。
「アカデミア書店」はフィンランドの強烈な夏の日差しを、宝石の輝きへと変質させる光の建築だった。
ふたつめは、「国民年金会館」
1956年に建てられた公共建築。この建築は結構大きい上に形がやや複雑なので載せる写真に迷うのだけれど、今回書くのは光についてなので関連する数点を抜粋。
上の外観写真に見えている三角形が会議場のトップライト。(たしか)
館内にあった木の模型。丸いぽちぽちが図書室のトップライト。「国民年金会館」は会議場と図書室の2箇所について書きます。
まずは会議場
先ほどの「アカデミア書店」で見たような三角形のトップライトがより大きなスケールで会議場全体に優しく光を落としている。訪れた際に受けた説明によると、ここは昔個別のブースが集まるオフィスとして使用されていたらしい。
同じ場所の逆側から見た写真
ちょうど日差しが差し込む時間帯になったのか、「アカデミア書店」で見たような光の欠片が散らばっている。でもこの光はそれほど「宝石感」があるわけではなく、木漏れ日のように柔らかく落ちてきているような印象を受けた。おおらかで悪くない。
そして図書室
ここの光は先ほどの「光の宝石」とは違った強烈さがあった。まるで太陽が光の球のように小さく分裂して、天井を穿っているような印象を受けた。
それぞれの光はそれほど大きく無いのにも関わらず、なぜこんなにも球体のような立体感が生まれるのだろうか。トップライトのうちの一つを下から覗いてみた。
晴天から降り注ぐ太陽が、頂上に穴の空いた円錐状のトップライトに柔らかく反射している。しかしただそれだけでは「光の球体」のようには見えない。
重要なのは天井との繋ぎ目部分が滑らかな曲線になっていることだろう。トップライトの底面と天井の境目にこの操作を加えることによって、輪郭がぼかされて包み込むような立体感が生まれているのだ。
図書室のトップライトに受ける印象は強烈なのだけれど、決して強すぎたりはしない。どちらかというと落ち着いて読書や作業をするのに適している空間であると感じた。
光の輪郭を明確にし鋭さを強調する「アカデミア書店」と、輪郭をぼかして静かに空間を照らす「国民年金会館」。機能と年代は違うけども、どちらも太陽を取り入れながら建築に適した光へと変質させている。今回訪れたのは夏だったが、太陽があまり出ない冬の時期にはどういった光を作り出すのかもいつか行って確かめてみたい。
書いてみたら以外と時間がかかったので、残りの作品については後編として次の記事でまとめようと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございました。